大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和56年(あ)183号 決定 1981年9月04日

国籍

韓国(慶尚南道釜山市東莱区老圃洞七六九番地)

住居

東京都練馬区東大泉町八二九番地の三

会社役員

李聖三

一九二三年八月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五五年一二月一日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人佐藤義弥の上告趣意第一点のうち、最高裁昭和四〇年(あ)第六五号同四二年一一月八日大法廷判決・刑集二一巻九号一一九七頁を引用して判例違反をいう点は、右判例は事案を異にし、本件に適切でなく、最高裁昭和四六年(あ)第一九〇一号同四八年三月二〇日第三小法廷判決・刑集二七巻二号一三八頁を引用して判例違反をいう点は、右判例は、虚偽過少申告がそれ自体不正行為にあたる旨判示しており、所論の趣旨の判断を示していないから、所論は前提を欠き、同第二点は、憲法三一条、三七条違反をいう点を含め、その実質は単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 伊藤正己 裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 寺田治郎)

○昭和五六年(あ)第一八三号

上告趣意書

所得税法違反 李聖三

右上告事件につき上告趣意書を提出します。

昭和五六年三月一七日

右弁護人 佐藤義弥

最高裁判所 第三小法廷 御中

第一点 原判決は最高裁判所の判例に違反しているので破棄を免れない。

一、原判決は、控訴趣意書第一点及び同補充書の第一中、営業権の未償却残額を逋脱所得金額確定の基礎とすることのあやまりに関する部分の判断、ならびに、控訴趣意書第二点及び同補充書第一に関する判断に於て、「このように不完全な取引記録を基礎とし、更に収支にわたり意識的に虚偽をおり込んだ決算書類に基づき、ことさら虚偽過少の確定申告を行い、虚偽過少の申告が全体として所得税逋脱の手段とされる場合には、虚偽過少の申告行為自体が、所得税法第二三八条一項にいわゆる不正の行為にあたり、右不正の行為と無関係な特段の事情に起因する部分が認められないかぎり、申告した税額と正当な税額との差額全部と右不正の行為との間に因果関係があるものというべきである」と判示している。

二、これは、最高裁判所昭和四二年一一月八日大法廷判決の趣旨と反するものである。

右判決は「詐欺その他不正の行為とは逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課・徴収を不能もしくは著しく因難ならしめるような、なんらかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するのを相当とする」と判示し、積極的な不正手段にあたると判断されるべき事実を原判決認定事実経過より摘示して述べているのである。

即ち、「物品税を逋脱する目的で、物品移出の事実を別途手帳にメモしてこれを保管しながら、税務官吏の検査に供すべき正規の帳簿にことさらに記載しなかったこと………などの事実関係に照らし、逋脱の意図をもって、その手段として税の徴収を著しく困難にするような工作を行ったことが認められるという意味で、右判例(最高裁第三小法廷、昭和三八年二月一二日、第三小法廷昭和三八年四月九日判決、第二小法廷昭和二四年七月九日判決)にいう積極的な不正手段に当ると判断した趣旨と解され」、従って、判例違反はないと判示している。

これを要するに、単純不申告犯と逋脱犯の限界に付て、逋脱犯は、逋脱の意図をもってその手段として税の賦課徴収を不能若しくは著しく困難ならしめるような偽計、その他の工作を行うことであるとし、これは詐欺その他不正の手段が積極的に行われたことになるのであると判示しているのである。

三、昭和四八年三月二〇日、最高裁第三小法廷判決について

この判決は、「真実の所得を隠蔽し、それが課税対象となることを回避するため、ことさらに過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署長に提出する行為自体、単なる所得不申告の不作為にとどまるものではなく、大法廷判決の判示する『詐欺その他不正の行為』にあたるものと解すべきである」としている。

この判決は、一見すると悪意があって不申告があればすべて逋脱犯にあたると判示しているように見えるが、その実はちがうのである。判決は具体的事案に対する判断であるから、具体的事案を検討せねばならない。

この事案は、二審判決の理由中の控訴趣意二に付ての判断の三に於て「該金員が、会社に於て、その所得として所轄税務署長に申告しない所謂簿外金から出金されたものであったため、若し被告人が自己の真実の所得をありのまゝに所得税確定申告書に記載すれば累が会社に及び、今後会社から受領し得べき筈のものが受領できなくなる虞れがあり、………真実の所得を隠蔽し」………殊更過少に申告した事案である。

しかも、右事件の一審判決を見ると、被告人は、認定所得税額と確定申告書との差額、即ち、三八年分に付ては一一、九一〇、〇三〇円、三九年分に付ては一四、八八二、七七〇円の各所得税を逋脱したものとして起訴されているところ、三八年分については九、七八七、三六〇円について、三九年分に付ては一三、二三三、〇八〇円についての逋脱罪の認定となったもので、その差額については、詐欺その他の不正の行為により免れたことを証明するに足る証拠がないとされているのである。

結局、会社の裏金から受領した金額の隠蔽のみにつき、逋脱犯の成立を認め、その余については逋脱犯の成立を認めていないのである。このことは重要である。

これを要するに、右判決に於ても、真実の所得を隠蔽し、ことさらに過少な申告をしたと認められる具体的事実の認定の基礎の上に、右具体的事実と因果関係のある金額についてのみ逋脱犯の成立が許容されるのである。

四、原判決は、左の点に於て、前記昭和四二年一一月八日大法廷判決及びこれと同趣旨の昭和四八年三月二〇日第三小法廷判決と反する。

1. 「売上の一部を除外して簿外預金を設定する」という事実以外に何らの具体的事実の認定がない一審判決について、「虚偽の所得税確定申告書の提出」それ自体を偽りその他不正の手段に該当するものとしている点である。

一審判決を素直に見れば、簿外預金の設定が「偽りその他不正の手段」にあたるものと判示しているものと解されるが、原判決はこれを排して前記のように解したのである。従って、簿外預金の設定は例示であるにすぎないと強弁し、それ以外に真実の所得を隠蔽し、ことさらに過少な申告をしたと認められる具体的な事実の認定のないまゝ過少申告自体が「いつわりその他不正の手段」であると押しつけているのである。過少申告自体が「いつわりその他不正の手段」であると認めることが許されるとしても、「真実の所得を隠蔽し、ことさらに過少な申告をした」ものと認めるに足る具体的事実の認定のないまま、過少申告それ自体を処罰するのでは、到底罪となるべき事実を明示したことにもならないし、前記の最高裁判決の判例の趣旨に反するものである。

2. 原判決は過少申告書の提出それ自体が、いつわりその他不正の手段にあたるから「これと無関係な特段の事情に起因する部分が認められない限り、申告した税額と正当な税額との差額全部」が逋脱額であると判示している。これも徴税の便宜のために法の解釈をまげ、判例に違反している点である。

真実の所得を隠蔽し、ことさらに過少な申告をしたことに該当する具体的事実を特定し、右事実と因果関係にある金額が逋脱金額とならなければならない。申告自体が、それ自体がいつわりその他不正な手段であるし、所得を推計し、申告所得額と右推計所得額との差額をすべて逋脱額であるとすることは前記最高裁の各判例の趣旨に反するものである。

3. かりに直実の所得を隠蔽し、ことさら過少な申告をしたことに該当する具体的な事実の特定がなく、原判決のように過少な申告をしたこと自体が、いつわりその他不正な手段であるとし、推計された所得額と申告所得額との差額全部について、逋脱犯が成立するとする原判決が、前記最高裁の判例に違背しないとしても所得額の認定はあくまで推計であることは免れない。而して、右所得額の推計をするにあたって、営業権を減価償却資産として計上し、一時償却をすれば、推計所得が減少したにも抱らず、右の点に付て不知であったためにそのような措置をとらなかったため、推計所得が一、二〇〇万円多く認定されるに至ったというのが本件の経過である。

原判決は、これを「所得増の原因となるような事実、金額を認めたものではない」「新たに逋脱所得を認定したものであるかのごとく解するのは誤りである」「営業権自体に関して、逋脱税額と因果関係のある不正行為があったとするような判断はしていない」(原判決五丁表及び裏)と判示して、上告人の不手際で推計所得が一、二〇〇万円減少すべきところ、減少しなかったのであるから、課税処分の民事上の問題に付ては、右金額を上積みした課税処分が認められるのはともかくとして、逋脱犯の対象としてここまで認定するのは誤りであるとする上告人の主張を排斥している。

しかし、推計した所得金額と申告した所得金額との差額を全部逋脱の対象とするということは、推計の基礎となった勘定科目全部について、逋脱との因果関係を認めるということである。所得を増加させるべき勘定科目に付ては勿論であるが、所得を減少させるべき勘定科目に於ても勿論である。

所得を増加せしむべき勘定科目についてのみ逋脱との因果関係を認め、所得を減少せしむべき勘定科目については逋脱との因果関係を認めないのは不合理という他はない。

この不合理は申告自体を虚偽不正な手段と見て推計所得金額全額と申告金額の差額全部について逋脱犯が成立するとする原判決の判旨が誤っていることに起因するのであるが、もし、この判旨が判例に違反しないとした場合、論理的に所得額を積算したすべての勘定科目が逋脱と因果関係あることになり、従って所得を減少せしむべき勘定科目も、逋脱と因果関係あることになる。従って、正常な手続をとれば所得を減少せしむべき勘定科目に於て、不注意により所得の減少をすることができない場合に於ては、その部分は逋脱犯の対象からはずすべきである。これがすべての勘定科目について逋脱犯との因果関係を認めるということの趣旨である。従って、原判決は一部の勘定科目(本件で云えば営業権の償却)に付て逋脱との因果関係を認めなかったことに帰し、この点に於て前記判例の趣旨に反するものである。

第二点 原判決は、刑事訴訟法第二五六条三項、同三三五条の解釈を誤り、憲法第三一条及び第三七条の解釈、適用を誤った違法があり破棄を免れない。

一、刑事の起訴にあたっては、公訴事実を明らかにして訴追し、審判の範囲を明解にし(刑訴法第二五六条三項)有罪判決に於ては、右に対応する罪となるべき事実を判示(同第三三五条)しなければならない。而してこれは憲法第三一条の法定手続の保障が適正手続の保障を含む以上、憲法第三一条の保障の範囲に入る近代的刑事手続上の根幹部分である。

二、一審判決は、「売上の一部を除外して簿外預金を設定する等して」「虚偽の確定申告を提出し」「正規の所得額と申告税額との差額」を逋脱したというのである。原判決は、右一審判決の「売上の一部を除外して簿外預金を設定し」というのは、所得秘匿工作の例示にすぎず、「虚偽過少の申告行為自体を逋脱税額と因果関係のある不正行為として認定判示したものと解される」としている。

してみると公訴事実及び罪となるべき事実は虚偽の確定申告書を提出したという事実のみということになり、推計所得金額と申告金額の差額のすべてが逋脱額となるということになる。これでは単純不申告犯と逋脱犯の区別がつかず、税務当局の恣意を許すことになり、逋脱額と更正決定による増差額が一致することになるので、刑事裁判の手続が、現実には課税処分取消の裁判と同内容に転化するのである。

所得税法違反の刑事裁判の手続がこのように推計所得そのものを争そう裁判に転化し、長期化する所以のものは、虚偽の申告自体を偽りその他不正手段にあたると解し、推計所得金額と申告との差額を逋脱額とする原判決のような考え方にその原因があるのである。

三、被告人の立場からみれば、虚偽の確定申告書の提出自体が偽りその他不正の手段とされる以上、申告内容が虚偽であるかどうかが争点となり、推計所得金額全体を争点として争わざるを得ない。これは余りにも刑訴法にいう公訴事実、罪となるべき事実の範囲を拡大し、争点を拡大するものである。

四、従って、刑訴法第二五六条三項の公訴事実、同第三三五条の罪となるべき事実は虚偽の確定申告書の提出のみならず、これを偽りその他不正の手段たらしめる具体的事実を掲げ、この具体的事実に基づく、所得の隠蔽額につき、逋脱額を認定すべきものである。

原判決の前記判旨は、明らかに刑訴法第二五六条三項、同第三三五条の審判の範囲の特定、罪となるべき事実の特定の趣旨に反し、結局、憲法第三一条の法定手続の保障を踏みにじるものである。

五、のみならず、右のように争点を更正処分金額全体に拡大するのは、憲法第三七条で保障する迅速な裁判を求める刑事被告人の権利をもふみにじることになり、憲法第三七条にも違反するものといわざるを得ない。

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